宇野千代 私製年譜 元島祥次先生
明治30年(1897) | 0歳 | 11月28日、玖珂郡横山村329番屋敷 (現・岩国市川西町二丁目9番35号)に 宇野俊次、トモの長女として生まれる。 宇野家は代々酒造業を営む旧家。 *家族構成 父:宇野俊次 母:(土井)トモ 長女 千代 父:宇野俊次 母:(佐伯)リュウ 長男 薫 次男 鴻(ひろし) 次女 勝子 三男 光雄 四男 文雄 *千代の家族評 父:奇人乃至狂人、放蕩無頼、馬好き、家長(高森「宇野酒藏」出) 母:(実母のよう、忍耐強い、明るい、歌好き) 「・・・のう、おかか」*明治30年代前半 浪漫主義全盛:藤村、晩翠、鉄幹、晶子、樗牛、鏡花 家庭小説:紅葉、蘆花 写実短歌:子規*明治30年代後半 象徴詩 泣董、有明*明治40年代 自然主義全盛:藤村、花袋、独歩、白鳥、秋声 反・自然主義:漱石、鴎外 新浪漫派:荷風、潤一郎 新理想派:実篤 新劇興隆:薫、抱月、綺堂 詩歌新風:白秋、牧水、啄木、左千夫(アララギ) (「要説・日本文学史」伊藤・足立著、社会思想社参照以下同じ) |
明治32年(1899) | 2歳 | 母、肺結核で病没 小学校高学年:「全甲」 裁縫得意、 14才で十日嫁入り (生母の姉の子・藤村雄一) 「秋の夕」 |
大正2年(1913) | 16歳 | 父、雪中事件ののち、病没 「女子文壇」投稿(変名) 同人誌「海潮音」 「青鞜」「第三帝国」読む この間、日露戦争、韓国併合、大逆事件、明治天皇崩御・・・ 「ここは御国を何百里・・・」 *大正時代 人道主義・人格主義 白樺派:実篤、武郎、直哉、詩人小説家:春夫、犀星 アララギ派:赤彦、茂吉 人格主義:阿部次郎 児童文学:三重吉 ホトトギス派:虚子 新思潮派:龍之介、寛 戯曲:百三、有三、国士 自由律派:井泉水 新感覚派:利一、康成 自由詩・口語詩:光太郎、朔太郎 プロレタリア文学:嘉樹 |
大正3年(1914) | 17歳 | 3月、岩国高等女学校卒業、川下村小学校代用教員に。 月給8円。 先生と“熱病のような恋”に落ちる。恋文事件! 第一次世界大戦参加 |
大正4年(1915) | 18歳 | 秋、同校退職後、ソウルへ。翌年帰国、 従兄弟の藤村忠を頼って京都へ。 (2年後、忠は東大法学部入学) 回覧文芸誌「海鳥」同人:小説・詩・短歌登載 |
大正6年(1917) | 20歳 | 上京、婦人記者、家庭教師、女店員等を転々。 一時、本郷三丁目レストラン「燕楽軒」で18日働き、名士を識る。 小川未明に私淑、訪問。 *燕楽軒の頃 滝田樗陰、今東光、芥川龍之介、久米正雄、今日出海、 佐藤春夫らと出会い 龍之介:「葱」 デートの途中、葱を買う女 日出海:「宇野千代全集・月報10」“見詰めずにはいられぬ美人” カチューシャの歌、流行る |
大正8年(1919) | 22歳 | 8月、藤村忠と結婚。翌年、忠の北海道拓殖銀行就職で札幌 へ。 「万朝報」へ投稿。前年、米騒動 |
大正10年(1921) | 24歳 | 1月、「脂粉の顔」が時事新報の懸賞小説で一等に入選、 小説家の道へ。賞金200円 (2等:尾崎士郎、3等:八木東作、選外:横光利一) |
大正11年(1922) | 25歳 | 「墓を発く」120枚の原稿料366円をもって帰郷。 帰途、尾崎士郎に会い、同棲。 本郷・菊富士ホテルに居住。 (士郎とは8年で離婚) 「墓を発く」「巷の雑音」(中央公論) |
大正12年(1923) | 26歳 | 5月、士郎と荏原郡馬込町に転居。 「追憶の父」「人間の意企」「お紺の上京」 「薄墨色の憂愁」(中央公論)『脂粉の顔』(改造社) 関東大震災 |
大正13年(1924) | 27歳 | 4月、忠と協議離婚、士郎と正式結婚。 「幸福」 (我観) 「或る女の生活」「夕飯」「赤ん坊」「街の灯」(中央公論) 「足を撫でた女」 (大阪毎日新聞) 「青い空」(新小説) 「白い家と罪」 (世紀) 筆名・藤村→宇野千代ヘ |
大正14年(1925) | 28歳 | 「三千代の嫁入り」 「ランプ明く」 「往来」 (中央公論) 「笑う浪江」 (婦人公論) 「夜」 「骸骨と母」 (新潮) 「晩唱」 (新小説) 『新進作家叢書42・宇野千代(白い家と罪)』(新潮社)/ 女性では中条百合子と二人だけ |
大正15年(1926) | 29歳 | この年、萩原朔太郎、広津和郎、三宅やす子らを識る。 |
昭和元年(1926) | 29歳 | 「家」(中央公論)「白い木柵のある家」(婦人公論) *馬込文士村の頃 3月~9月、士郎と岩国・新港へ。火事事件。 断髪の元祖 朔太郎夫人駈落 (室生犀星と長期絶縁) マージャンを和郎が手ほどき *昭和時代(戦前) プロレタリア文学:多喜二、直、百合子 反・マルクス主義:秀雄 転向文学:重治 *昭和10年前後 文芸復興時代 麟太郎、治、辰雄、順、義秀、整、知二 聖一、鱒二、一雄、洋次郎、暁 文雄、達三、かの子、芙美子 *戦争文学・国策型文学 与重郎、健作、葦平、青果、賢治、達治 *その他 国男、八一、清、潤一郎、敦、作之助、淳 |
昭和2年(1927) | 30歳 | 5月、川端康成の誘いで、伊豆湯ケ島に遊び、梶井基次郎、 三好達治、淀野隆三らを識る。 以後、たびたび同地に滞在。 「おきぬと賛平」(新潮) 「その女と金」(時事新報) 「よしや逆さに」(中央公論) *湯ケ島の頃 基次郎:精悍な若者、骨っぽい印象。文学態度に共鳴、 恋愛関係の誤伝? 藤沢恒夫の足龍之介自殺 金融恐慌 |
昭和3年(1928) | 31歳 | 「晩唱」(中央公論) 「冬日閑話」(時事新報) 「過去」(文芸春秋) 「老女マノン」(改造) 「湯ケ島雑記」(報知新聞) 「新しき生活への出発」(婦人公論) 士郎、結婚? |
昭和4年(1929) | 32歳 | この年、東郷青児、牧野信一、三宅艶子、阿部金剛らを識る 「稲妻」(中央公論) 「月夜の便り」(文芸春秋) 「失楽の歌」(改造) 「お浪とその母」(新潮) 『新選宇野千代集』(改造社) 「日本女マスミ」(新潮) 「罌粟はなぜ赤い」(報知新聞;12/21~翌年5/22)青児、情死未遂 |
昭和5年(1930) | 33歳 | 士郎と離婚、東郷青児と同棲。(青児とは4年で離婚) 「よい天気」(文芸春秋) 「愛すべき蔓草」(婦人公論) 「高原」(中央公論) *フランス絵画の影響 ? 自然主義からの脱皮 着物から洋服へ |
昭和6年(1931) | 34歳 | 『大人の絵本』(中央公論) 『同豪華本』(白水社) 満州事変 |
昭和7年(1932) | 35歳 | 「暖炉」(文学時代) 「明るい午後」(現代) 「雨・子供」(文学クオタリイ) 「私という女」(婦人公論) 5.15事件 村田社長→ピストル自殺 |
昭和8年(1933) | 36歳 | 北原武夫を識る。 「色ざんげ」(中央公論;9月~10年3月) 「大人の絵本」(改造) 「夜」(文学界) 武夫:都新聞学芸部長多喜二拷問死 国連脱退 |
昭和9年(1934) | 37歳 | 青児と別れ、四谷区大番町に転居。 「雨一炬燵夜話」(中央公論) 「軽便」(文学界) 『オペラ座サクラ館』(改造社) 「赤い自転車」「文学的自叙伝」「大島の話」(新潮) *フランス心理小説の影響、ドストエフスキー (ラディゲ、コンスタン、ラファイエット) 「クレーヴの奥方」 |
昭和10年(1935) | 38歳 | 初期の代表作『色ざんげ』(中央公論社) 「私と子供」「別れも愉し」(改造) 「娼婦の手紙」(中央公論) |
昭和11年(1936) | 39歳 | 6月スタイル社創設。ファッション雑誌「スタイル」創刊。 「ひとの男」「未練」(中央公論)2.26事件 |
昭和12年(1937) | 40歳 | 「ひとの男」(改造) 「空漠の間」(中央公論)日華事変 |
昭和13年(1938) | 41歳 | スタイル社から文芸誌「文體」創刊。 「その家」(改造) 「恋の手紙」(中央公論) 「月夜」(中央公論社) 「田舎日記」(文體)国家総動員法発令 |
昭和14年(1939) | 42歳 | 4月、北原武夫と結婚。(武夫とは25年で離婚) 小石川区林町に転居。 藤田嗣治・吉屋信子仲人 「情愛」(大陸) 「書翰往復ー千代・達治」(文芸)翌年、日独伊三国同盟 |
昭和16年(1941) | 44歳 | 4月、武夫と満州・中国旅行。光雄危篤のため帰国。(6月没) 「女の手紙」(文芸)太平洋戦争勃発 武夫徴用 |
昭和17年(1942) | 45歳 | 青山二郎、小林秀雄を識る。「スタイル」改題「女性生活」ヘ 語り書き『人形師天狗屋久吉』(中央公論) 疎開先で谷崎潤一郎と知遇 翌年、『日露の戦聞記』とともに文體社から発刊。 「妻の手紙」(中央公論・文学界)日本文学報国会結成 |
昭和19年(1944) | 47歳 | 1月、戦時統制のためスタイル社解散。 *戦後派作家:雄高、宏、泰淳、武彦、春生、由紀夫、麟三、 昇平、公房、善衛、真一郎、靖、虎彦、民平・・・ *女流作家:信子、千代、文子、キク、好子、文、洋子、スエ、 富枝、佐和子、綾子、晴美、弓枝、由美子、聖子、路子、ミナ子、 愛子、節子・・・ *大衆文学:英治、潮五郎、次郎、伸、樹一郎、荘八、元三、次郎、 鶏太、錬三郎、康祐、三郎、周五郎、清張、遼太郎、勉、寛・・・ |
昭和21年(1946) | 49歳 | 2月、「スタイル」復刊。驚異的な反響を呼ぶ。 「日記抄」(改造)銀座に事務所前年、原爆投下 終戦 翌年、新憲法公布 |
昭和22年(1947) | 50歳 | 『わたしの青春物語』(酣灯社) (文體)季刊で復刊。「おはん」の連載始まる。 小林秀雄(「ゴッホの手紙」)、河上徹太郎、三好達治、 大岡昇平(「野火」)ら執筆。翌年、治情死 文筆家270人追放 |
昭和25年(1950) | 53歳 | 中央区木挽町に転居。 「おはん」(中央公論に断続的連載~昭和32年5月完結) 朝鮮戦争勃発 チャタレー事件 |
昭和26年(1951) | 54歳 | 2月から4月、宮田文子とヨーロッパ旅行。アランの絶筆 「パリ通信」(毎日新聞) 継母・リュウ没。講和条約・安保条約調印 *第三の新人:昭和28年頃~ 章太郎、淳之介、周作、信夫、潤三、朱門、弘之、哲郎・・・ 慎太郎、七郎、健三郎、健、光晴、杜夫、和巳、実、邦生、 正秋、寛之、昭如・・・ 昭和27年 脱税事件 |
昭和32年(1957) | 60歳 | 前年から港区青山南町に転居。 5月、アメリカへ旅行。シアトル博覧会で、 千代自身のデザインした着物ショーを催す。 6月、終生の力作『おはん』を中央公論社から発刊。評価高揚。 12月、第5回野間文芸賞受賞。 「宇野千代きもの読本」発刊。 きもの店開店。平林たい子に20万円借りる。 |
昭和33年(1958) | 61歳 | 2月、第9回女流文学者賞受賞。 |
昭和34年(1959) | 62歳 | スタイル社多額の負債で倒産。八千数百万円 「自伝的恋愛論」(婦人公論) 「女の日記」(新潮)安保反対闘争 |
昭和35年(1960) | 63歳 | 「年齢」(産経新聞) 随筆(東京新聞) 「その人の顔」(小説中央公論) 「行く」(群像) 所得倍増計画 |
昭和38年(1963) | 66歳 | 「答える」「私の特技」(新潮) 腰折で入院! 藤江淳子さん介護 「きもの研究所」 |
昭和39年(1964) | 67歳 | 中村天風の「天風会」入会。9月、武夫と離婚。士郎没。 「這う」(新潮)東京オリンピック |
昭和40年(1965) | 68歳 | 「刺す」「笑う」(新潮) |
昭和41年(1966) | 69歳 | 「落ちる」(新潮)『刺す』(新潮社) 「株式会社宇野千代」設立。那須に土地購入、 ロケット月面着陸 中国文化大革命 |
昭和42年(1967) | 70歳 | 「この白粉入れ」(新潮)「那須日記」(風景) |
昭和44年 (1969) | 72歳 | 「風の音」「貞潔」(海)「未練」(早稲田文学)「水の音」(新潮) 『風の音』(中央公論社) 前年、康成ノーベル賞 学園紛争 |
昭和45年(1970) | 73歳 | 「天風先生座談」(二見書房)「幸福」(新潮) 『貞潔・短篇小説集』『親しい仲・随筆集』(講談社)由紀夫割腹自殺 |
昭和46年(1971) | 74歳 | 5月、第10回女流文学賞受賞。/薄墨の桜で根尾村ヘ 「桜」(新潮)「或る一人の女の話」(文学界) 「私の文学的回想記」(東京新聞)「野火」(海)秋、胃の手術 |
昭和47年(1972) | 75歳 | 第28回芸術院賞受賞。武夫没。 岩国の生家修復~翌年完成 『或る一人の女の話』(文芸春秋社) 『私の文学的回想記』(中央公論社) 「いま見るとき」(文学界)康成自殺、沖縄復帰 翌年、ヴェトナム戦争終結 |
昭和49年(1974) | 77歳 | 4月、勲三等瑞宝賞受賞。 『雨の音』(文芸春秋社) |
昭和50年(1975) | 78歳 | 『往復書簡』『八重山の雪』(文学界~文芸春秋社) 『薄墨の桜』(新潮社) |
昭和51年(1976) | 79歳 | 「ママの話」『水西書院の娘』(海~翌年、中央公論社) 「チェリーが死んだ」(文学界)岩国取材田中元首相逮捕 |
昭和52年(1977) | 80歳 | 7月、『宇野千代全集』全12巻を中央公論社から刊行開始し、 翌年六月完結。「或る日記」(すばる)「青山二郎の話」(海) |
昭和54年(1979) | 82歳 | 「残っている話ー或る記録」(すばる) 「それは木枯しか」「筧の水」(文学界) |
昭和55年(1980) | 83歳 | 「弱者のように」(新潮)「悪徳もまた」(すばる) 「それは刃物が導いた」(新潮) 84才で初めてテレビヘ |
昭和57年(1982) | 85歳 | 10月、第30回菊地寛賞受賞。 「透徹した文体で、情念の世界を凝視しつづける強靭な作家精神」 と評価 2月、「生きて行く私」を毎日新聞に連載開始。翌年7月まで続く。 「茎が水を吸うように」(新潮) |
昭和58年(1983) | 86歳 | 大河自伝『生きて行く私』を毎日新聞社から発刊。 百万部を超すベストセラーとなる。「或る男の断面」(群像) |
昭和59年(1984) | 87歳 | 「三浦環の片鱗」(群像)「ふだんの話」(すばる) 「普段着の生きて行く私」(毎日新聞~翌年8月) 「おはん」東宝・映画化、以後テレビ化も。 「生きて行く私」帝劇で上演、以後62年も。 芸術座も上演二度テレビ化も。 |
昭和60年(1985) | 88歳 | 帝国ホテルで米寿を祝う会。千代デザインの大振袖披露。 |
昭和61年(1986) | 89歳 | 「折り折の生きて行く私」(毎日新聞~平成2年12月) 「おたよの恋」(婦人公論・臨増号) 「一ぺんに春風が吹いて来た」(新潮) |
昭和62年(1987) | 90歳 | 「私の昭和史とは」「父の想い」(中央公論) 『しあわせな話』(中央公論社) |
昭和63年(1988) | 91歳 | 10月、[女性作家13人展]日本近代文学館主催。 (現役の作家では佐多稲子と二人) |
昭和64年(1989) | 92歳 | 「早く時が過ぎるように」等随筆(別冊婦人公論) 「お雪」「雲が流れていた」(中央公論・文芸特集号) 『一ぺんに春風が吹いて来た』(中央公論社) |
平成2年(1990) | 93歳 | 9月、岩国市名誉市民。 10月、国の文化功労者として顕彰。 『淡墨の桜』(海竜社)『私のしあわせ人生』(毎日新聞社) |
平成4年(1992) | 95歳 | 4月、[宇野千代展]日本橋高島屋で開催。6日間5万人 「おはん」芸術座で上演。 「或る小石の話」(中央公論・文芸特集号) |
平成5年(1993) | 96歳 | 「不思議な事があるものだ」(すばる) 「待つことの人生」(文学界) 『私の幸福論』(海竜社) |
平成6年(1994) | 97歳 | 「好きな人が出来たときが適齢期」(GQJAPAN) |
平成7年(1995) | 98歳 | 『私何だか死なないような気がするんですよ』(海竜社) |
平成8年(1996) | 98歳 | 4~5月、[宇野千代の世界]山梨県立文学館で開催。 6月10日、虎ノ門共済病院にて天寿を全う。 勲二等瑞宝章受賞。“鴉が空を翔ぶように” |