宇野千代私製年譜 (元島祥次先生) |
明治30年 |
0歳 |
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明治32年 (1899) |
2歳 | 母、肺結核で病没 小学校高学年:「全甲」 裁縫得意、 14才で十日嫁入り(生母の姉の子・藤村雄一) 「秋の夕」 |
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大正2年 (1913) |
16歳 | 父、雪中事件ののち、病没 「女子文壇」投稿(変名)同人誌「海潮音」 「青鞜」「第三帝国」読む この間、日露戦争、韓国併合、大逆事件、明治天皇崩御・・・ 「ここは御国を何百里・・・」 *大正時代 人道主義・人格主義 白樺派:実篤、武郎、直哉、 詩人小説家:春夫、犀星 アララギ派:赤彦、茂吉 人格主義:阿部次郎 児童文学:三重吉 ホトトギス派:虚子 新思潮派:龍之介、寛 戯曲:百三、有三、国士 自由律派:井泉水 新感覚派:利一、康成 自由詩・口語詩:光太郎、朔太郎 プロレタリア文学:嘉樹 |
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大正3年 (1914) |
17歳 | 3月、岩国高等女学校卒業、川下村小学校代用教員に。
月給8円。 先生と“熱病のような恋”に落ちる。恋文事件! 第一次世界大戦参加 |
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大正4年 (1915) |
18歳 | 秋、同校退職後、ソウルへ。翌年帰国、従兄弟の藤村忠を頼って京都へ。
(2年後、忠は東大法学部入学) 回覧文芸誌「海鳥」同人:小説・詩・短歌登載 |
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大正6年 (1917) |
20歳 | 上京、婦人記者、家庭教師、女店員等を転々。一時、本郷三丁目レストラン「燕楽軒」で18日働き、名士を識る。 小川未明に私淑、訪問。 *燕楽軒の頃 滝田樗陰、今東光、芥川龍之介、久米正雄、今日出海、佐藤春夫らと出会い 龍之介:「葱」 デートの途中、葱を買う女 日出海:「宇野千代全集・月報10」“見詰めずにはいられぬ美人” カチューシャの歌、流行る |
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大正8年 (1919) |
22歳 | 8月、藤村忠と結婚。翌年、忠の北海道拓殖銀行就職で札幌
へ。 「万朝報」へ投稿。 前年、米騒動 |
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大正10年 (1921) |
24歳 | 1月、「脂粉の顔」が時事新報の懸賞小説で一等に入選、小説家の道へ。 賞金200円 (2等:尾崎士郎、3等:八木東作、選外:横光利一) |
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大正11年 (1922) |
25歳 | 「墓を発く」120枚の原稿料366円をもって帰郷。 帰途、尾崎士郎に会い、同棲。 本郷・菊富士ホテルに居住。 (士郎とは8年で離婚) 「墓を発く」「巷の雑音」(中央公論) |
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大正12年 (1923) |
26歳 | 5月、士郎と荏原郡馬込町に転居。 「追憶の父」「人間の意企」「お紺の上京」 「薄墨色の憂愁」(中央公論)『脂粉の顔』(改造社) 関東大震災 |
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大正13年 (1923) |
27歳 | 4月、忠と協議離婚、士郎と正式結婚。 「幸福」 (我観) 「或る女の生活」 「夕飯」 「赤ん坊」 「街の灯」 (中央公論) 「足を撫でた女」 (大阪毎日新聞) 「青い空」(新小説) 「白い家と罪」 (世紀) 筆名・藤村→宇野千代ヘ |
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大正14年 (1923) |
28歳 | 「三千代の嫁入り」 「ランプ明く」 「往来」 (中央公論) 「笑う浪江」 (婦人公論) 「夜」 「骸骨と母」 (新潮) 「晩唱」 (新小説) 『新進作家叢書42・宇野千代(白い家と罪)』(新潮社)/女性では中条百合子と二人だけ |
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大正15年 (1923) |
29歳 | この年、萩原朔太郎、広津和郎、三宅やす子らを識る。 | ||||||||||
昭和元年 | 29歳 | 「家」(中央公論)「白い木柵のある家」(婦人公論) *馬込文士村の頃 3月〜9月、士郎と岩国・新港へ。火事事件。 断髪の元祖 朔太郎夫人駈落 (室生犀星と長期絶縁) マージャンを和郎が手ほどき *昭和時代(戦前) プロレタリア文学:多喜二、直、百合子 反・マルクス主義:秀雄 転向文学:重治 *昭和10年前後 文芸復興時代 麟太郎、治、辰雄、順、義秀、整、知二 聖一、鱒二、一雄、洋次郎、暁 文雄、達三、かの子、芙美子 *戦争文学・国策型文学 与重郎、健作、葦平、青果、賢治、達治 *その他 国男、八一、清、潤一郎、敦、作之助、淳 |
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昭和2年 (1927) |
30歳 | 5月、川端康成の誘いで、伊豆湯ケ島に遊び、梶井基次郎、三好達治、淀野隆三らを識る。 以後、たびたび同地に滞在。 「おきぬと賛平」(新潮) 「その女と金」(時事新報) 「よしや逆さに」(中央公論) *湯ケ島の頃 龍之介自殺 |
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昭和3年 (1928) |
31歳 | 「晩唱」(中央公論) 「冬日閑話」(時事新報) 「過去」(文芸春秋) 「老女マノン」(改造) 「湯ケ島雑記」(報知新聞) 「新しき生活への出発」(婦人公論) 士郎、結婚? |
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昭和4年 (1929) |
32歳 | この年、東郷青児、牧野信一、三宅艶子、阿部金剛らを識る 「稲妻」(中央公論) 「月夜の便り」(文芸春秋) 「失楽の歌」(改造) 「お浪とその母」(新潮) 『新選宇野千代集』(改造社) 「日本女マスミ」(新潮) 「罌粟はなぜ赤い」(報知新聞;12/21〜翌年5/22) 青児、情死未遂 |
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昭和5年 (1930) |
33歳 | 士郎と離婚、東郷青児と同棲。(青児とは4年で離婚) 「よい天気」(文芸春秋) 「愛すべき蔓草」(婦人公論) 「高原」(中央公論) *フランス絵画の影響 ? 自然主義からの脱皮 着物から洋服へ |
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昭和6年 (1931) |
34歳 | 『大人の絵本』(中央公論) 同豪華本(白水社) 満州事変 |
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昭和7年 (1932) |
35歳 | 「暖炉」(文学時代) 「明るい午後」(現代) 「雨・子供」(文学クオタリイ) 「私という女」(婦人公論) 5.15事件 村田社長→ピストル自殺 |
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昭和8年 (1933) |
36歳 | 北原武夫を識る。「色ざんげ」(中央公論;9月〜10年3月) 「大人の絵本」(改造) 「夜」(文学界) 武夫:都新聞学芸部長 多喜二拷問死 国連脱退 |
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昭和9年 (1934) |
37歳 | 青児と別れ、四谷区大番町に転居。 「雨一炬燵夜話」(中央公論) 「軽便」(文学界) 『オペラ座サクラ館』(改造社) 「赤い自転車」「文学的自叙伝」「大島の話」(新潮) *フランス心理小説の影響、ドストエフスキー |
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昭和10年 (1935) |
38歳 | 初期の代表作『色ざんげ』(中央公論社) 「私と子供」「別れも愉し」(改造) 「娼婦の手紙」(中央公論) | ||||||||||
昭和11年 (1936) |
39歳 | 6月スタイル社創設。ファッション雑誌「スタイル」創刊。 「ひとの男」「未練」(中央公論) 2.26事件 |
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昭和12年 (1937) |
40歳 | 「ひとの男」(改造) 「空漠の間」(中央公論) 日華事変 |
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昭和13年 (1938) |
41歳 | スタイル社から文芸誌「文體」創刊。 「その家」(改造) 「恋の手紙」(中央公論) 「月夜」(中央公論社) 「田舎日記」(文體) 国家総動員法発令 |
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昭和14年 (1939) |
42歳 | 4月、北原武夫と結婚。(武夫とは25年で離婚) 小石川区林町に転居。 藤田嗣治・吉屋信子仲人 「情愛」(大陸) 「書翰往復ー千代・達治」(文芸) 翌年、日独伊三国同盟 |
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昭和16年 (1941) |
44歳 | 4月、武夫と満州・中国旅行。光雄危篤のため帰国。(6月没) 「女の手紙」(文芸) 太平洋戦争勃発 武夫徴用 |
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昭和17年 (1942) |
45歳 | 青山二郎、小林秀雄を識る。「スタイル」改題「女性生活」ヘ 語り書き『人形師天狗屋久吉』(中央公論) 疎開先で谷崎潤一郎と知遇 翌年、『日露の戦聞記』とともに文體社から発刊。 「妻の手紙」(中央公論・文学界) 日本文学報国会結成 |
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昭和19年 (1944) |
47歳 | 1月、戦時統制のためスタイル社解散。 *戦後派作家:雄高、宏、泰淳、武彦、春生、由紀夫、麟三、昇平、公房、善衛、真一郎、靖、虎彦、民平・・・ |
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昭和21年 (1946) |
49歳 | 2月、「スタイル」復刊。驚異的な反響を呼ぶ。 「日記抄」(改造) 銀座に事務所 前年、原爆投下・終戦 翌年、新憲法公布 |
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昭和22年 (1947) |
50歳 | 『わたしの青春物語』(酣灯社) (文體)季刊で復刊。「おはん」の連載始まる。 小林秀雄(「ゴッホの手紙」)、河上徹太郎、三好達治、大岡昇平(「野火」)ら執筆。 翌年、治情死 文筆家270人追放 |
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昭和25年 (1950) |
53歳 | 中央区木挽町に転居。 「おはん」(中央公論に断続的連載〜昭和32年5月完結) 朝鮮戦争勃発 チャタレー事件 |
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昭和26年 (1951) |
54歳 | 2月から4月、宮田文子とヨーロッパ旅行。アランの絶筆 「パリ通信」(毎日新聞) 継母・リュウ没。 講和条約・安保条約調印
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昭和32年 (1957) |
60歳 | 前年から港区青山南町に転居。 5月、アメリカへ旅行。シアトル博覧会で、千代自身のデザインした着物ショーを催す。 6月、終生の力作『おはん』を中央公論社から発刊。評価高揚。 12月、第5回野間文芸賞受賞。 「宇野千代きもの読本」発刊。 きもの店開店。平林たい子に20万円借りる。 |
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昭和33年 (1958) |
61歳 | 2月、第9回女流文学者賞受賞。 | ||||||||||
昭和34年 (1959) |
62歳 | スタイル社多額の負債で倒産。八千数百万円 「自伝的恋愛論」(婦人公論)「女の日記」(新潮) 安保反対闘争 |
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昭和35年 (1960) |
63歳 | 「年齢」(産経新聞)随筆(東京新聞)「その人の顔」(小説中央公論)「行く」(群像) 所得倍増計画 |
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昭和38年 (1963) |
66歳 | 「答える」「私の特技」(新潮) 腰折で入院! 藤江淳子さん介護 「きもの研究所」 | ||||||||||
昭和39年 (1964) |
67歳 | 中村天風の「天風会」入会。9月、武夫と離婚。士郎没。 「這う」(新潮) 東京オリンピック |
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昭和40年 (1965) |
68歳 | 「刺す」「笑う」(新潮) | ||||||||||
昭和41年 (1966) |
69歳 | 「落ちる」(新潮)『刺す』(新潮社) 「株式会社宇野千代」設立。 那須に土地購入、ロケット月面着陸 中国文化大革命 |
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昭和42年 (1967) |
70歳 | 「この白粉入れ」(新潮)「那須日記」(風景) | ||||||||||
昭和44年 (1969) |
72歳 | 「風の音」「貞潔」(海)「未練」(早稲田文学)「水の音」(新潮)『風の音』(中央公論社) 前年、康成ノーベル賞 学園紛争 |
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昭和45年 (1970) |
73歳 | 「天風先生座談」(二見書房)「幸福」(新潮)『貞潔・短篇小説集』『親しい仲・随筆集』(講談社) 由紀夫割腹自殺 |
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昭和46年 (1971) |
74歳 | 5月、第10回女流文学賞受賞。/薄墨の桜で根尾村ヘ 「桜」(新潮)「或る一人の女の話」(文学界) 「私の文学的回想記」(東京新聞)「野火」(海) 秋、胃の手術 |
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昭和47年 (1972) |
75歳 | 第28回芸術院賞受賞。武夫没。
岩国の生家修復〜翌年完成 『或る一人の女の話』(文芸春秋社) 『私の文学的回想記』(中央公論社) 「いま見るとき」(文学界) 康成自殺、沖縄復帰
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昭和49年 (1974) |
77歳 | 4月、勲三等瑞宝賞受賞。 『雨の音』(文芸春秋社) |
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昭和50年 (1975) |
78歳 | 『往復書簡』『八重山の雪』(文学界〜文芸春秋社) 『薄墨の桜』(新潮社) | ||||||||||
昭和51年 (1976) |
79歳 | 「ママの話」『水西書院の娘』(海〜翌年、中央公論社) 「チェリーが死んだ」(文学界)岩国取材 田中元首相逮捕 |
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昭和52年 (1977) |
80歳 | 7月、『宇野千代全集』全12巻を中央公論社から刊行開始し、翌年六月完結。 「或る日記」(すばる)「青山二郎の話」(海) |
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昭和54年 (1979) |
82歳 | 「残っている話ー或る記録」(すばる) 「それは木枯しか」「筧の水」(文学界) | ||||||||||
昭和55年 (1980) |
83歳 | 「弱者のように」(新潮)「悪徳もまた」(すばる) 「それは刃物が導いた」(新潮) 84才で初めてテレビヘ |
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昭和57年 (1982) |
85歳 | 10月、第30回菊地寛賞受賞。 「透徹した文体で、情念の世界を凝視しつづける強靭な作家精神」と評価 2月、「生きて行く私」を毎日新聞に連載開始。翌年7月まで続く。 「茎が水を吸うように」(新潮) |
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昭和58年 (1983) |
86歳 | 大河自伝『生きて行く私』を毎日新聞社から発刊。百万部を超すベストセラーとなる。「或る男の断面」(群像) | ||||||||||
昭和59年 (1984) |
87歳 | 「三浦環の片鱗」(群像)「ふだんの話」(すばる) 「普段着の生きて行く私」(毎日新聞〜翌年8月) 「おはん」東宝・映画化、以後テレビ化も。 「生きて行く私」帝劇で上演、以後62年も。芸術座も上演二度テレビ化も。 |
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昭和60年 (1985) |
88歳 | 帝国ホテルで米寿を祝う会。千代デザインの大振袖披露。 | ||||||||||
昭和61年 (1986) |
89歳 | 「折り折の生きて行く私」(毎日新聞〜平成2年12月) 「おたよの恋」(婦人公論・臨増号) 「一ぺんに春風が吹いて来た」(新潮) |
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昭和62年 (1987) |
90歳 | 「私の昭和史とは」「父の想い」(中央公論) 『しあわせな話』(中央公論社) | ||||||||||
昭和63年 (1988) |
91歳 | 10月、[女性作家13人展]日本近代文学館主催。(現役の作家では佐多稲子と二人) | ||||||||||
昭和64年 (1989) |
92歳 | 「早く時が過ぎるように」等随筆(別冊婦人公論) 「お雪」「雲が流れていた」(中央公論・文芸特集号) 『一ぺんに春風が吹いて来た』(中央公論社) |
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平成2年 (1990) |
93歳 | 9月、岩国市名誉市民。 10月、国の文化功労者として顕彰。 『淡墨の桜』(海竜社)『私のしあわせ人生』(毎日新聞社) |
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平成4年 (1992) |
95歳 | 4月、[宇野千代展]日本橋高島屋で開催。6日間5万人 「おはん」芸術座で上演。 「或る小石の話」(中央公論・文芸特集号) |
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平成5年 (1993) |
96歳 | 「不思議な事があるものだ」(すばる) 「待つことの人生」(文学界) 『私の幸福論』(海竜社) | ||||||||||
平成6年 (1994) |
97歳 | 「好きな人が出来たときが適齢期」(GQJAPAN) | ||||||||||
平成7年 (1995) |
98歳 | 『私何だか死なないような気がするんですよ』(海竜社) | ||||||||||
平成8年 (1996) |
98歳 | 4〜5月、[宇野千代の世界]山梨県立文学館で開催。 6月10日、虎ノ門共済病院にて天寿を全う。 勲二等瑞宝章受賞。 “鴉が空を翔ぶように" |
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■文学賛歌■
■手手手 てすり TE3■
■てんもん■
■錦帯橋■
■テスリックス■
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さくら さくら さくら
歌詞
五橋(いつつばし)
歌詞
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■1mcc.com■
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